ビル・ゲイツはマイクロソフトの共同創業者であり、献身的な慈善家として知られていますが、アメリカの自動車マニアにとっては、ビル・ゲイツは25年輸入法と闘い、ポルシェのような「禁止車」の抜け穴を見つけた英雄です。
それでは、「ビル・ゲイツと禁止されたポルシェ 959」の物語、はじまりはじまり。
ポルシェ・959は米国では公道走行可能ではなかった

1986年にデビューしたポルシェ959は、当時のポルシェが持つ技術を結集した1台です。
ポルシェ959のプロジェクトは当初は「グルッペB」と呼ばれ、その名の通りグループBの公認を得る為に始まりました。
エンジンは、同社のグループC車両である「962C」に搭載されていたオールアルミニウム製、空冷式のブロックに水冷のシリンダーヘッドを組み合わせたものに手を加えたものを搭載。2898cc水平対向6気筒DOHCで、最高出力450PS/6,500rpm、トルク51.0kgm/5,500rpmを発生します。
このパワーを受け止めるのは可変トルクスプリット式と呼ばれる、画期的なコンピューター制御の四輪駆動システムです。
1987年の販売価格は約3600万円で、世界で最も高価な車のひとつとなりましたが、原価は約7200万円で赤字でした。
アメリカでは、NHTSA(米国運輸省道路交通安全局)がクラッシュテストのために4台の車を提供するようポルシェに要求しました。ポルシェにとって2億8000万円は高すぎる費用であり、また959はごく限られた台数しか生産されなかったため、アメリカで959が認証されることはありませんでした。
アメリカには着いたが押収され、13年間港にとどまる

「スピード狂」として知られるビル・ゲイツは、このポルシェ・959を注文し、正式に米国に到着しましたが、NHTSA の認証に合格していなかったために、すぐに押収されてしまいます。そこから実に13年もの長い間サンフランシスコ港に留め置かれ、ハンドルを握ることはありませんでした。
「25年輸入法」の規定により、合法化されていない車は、そのモデルイヤーから25年後にのみ、合法的に米国に入ることができます。つまり、1987年のポルシェ959は、2012年になって初めて合法的に米国に入国できることになります。
ビル・ゲイツ、法律を変える

ビル・ゲイツは、この法律に異議を唱えるために弁護団を雇い、ポルシェ959のように生産台数が非常に限られている車を考慮に入れて弁論を行いました。彼らの活動により、生産台数が500台以下の希少車は、米国で合法化されていなくても輸入が可能になる「ショー・オア・ディスプレイ」法案に修正されました。
改正法案では、「連邦自動車安全基準に適合させることが困難または不可能であるにもかかわらず、米国でそれを展示または表示することが公益となるような歴史的または技術的意義がある場合、その車は米国で路上使用可能となる 」とされています。
己の為だけでなく、アメリカの自動車界を変えたヒーロー、ビル・ゲイツに万歳。そして、ポルシェ959とその技術力に乾杯。