フェラーリの跳ね馬「カヴァリーノ・ランパンテ」の由来

Cavallino Rampante 知識
この記事は約3分で読めます。
※当ブログでは商品・サービスのリンク先にプロモーションを含みます。
※当ブログでは商品・サービスのリンク先にプロモーションを含みます。

イタリアのマラネロにあるフェラーリの工場から生み出される美しい車には、黄色の長方形のバッジに飾られたカヴァリーノ ランパンテ (跳ね馬) が付いている。馬のシルエットは、自動車の世界で最も有名な車のロゴの1つ。それでも、F1チームと会社の創設者であるエンツォ・フェラーリがそれを一度だけ口にしたと主張する人もいて、その起源のほとんど語られていない話を知っている人はほとんどいないという。

1923年ラヴェンナグランプリ

エンツォ・フェラーリ

何千人もの人々の前で、フォーミュラ・リブレ仕様のアルファ ロメオ RL 3000のハンドルを握ったエンツォ フェラーリは、ラヴェンナで行われたレース、「チルキット・デル・サヴィオ」で優勝した。

このレースを観戦していた地域の指導者であるエンリコ・バラッカ伯爵とパオリーナ・バラッカ伯爵夫人は、有名なイタリアの第一次世界大戦戦闘機パイロット、フランチェスコ・バラッカの両親。

諸説あるが、25歳のエンツォが優勝したため、その後地元の要人と会う機会が与えられたのだろう。バラッカ伯爵夫人は、エンツォの幸運のために、1918年に戦死した亡き息子のシンボルであった跳ね馬の紋章を使うよう提案したとされている。同じ航空隊にエンツォの兄も所属していた事もあり、エンツォもこの提案を受け入れたのだろう。しかし、バラッカはどこでそのシンボルを手に入れたのだろうか?

スポンサーリンク

バラッカ少佐のカヴァリーノ・ランパンテ

バラッカ少佐

1916年の冬から 1917年の春にかけて、バラッカはカヴァリーノ ランパンテを個人の記章として採用し、ニューポール II 複葉機に塗装した。

連帯の紋章
連隊の紋章

イタリアのフランチェスコ バラッカ博物館によると、このカヴァリーノ・ランパンテの由来はバラッカが騎兵将校時代に所属していた、トスカーナのグロッセートに拠点を置くイタリア軍の騎兵連隊、「サヴォイア・カヴァレリア」の紋章が由来との事。このの紋章には、赤い背景に銀色の跳ね馬が、木と相撲を取るように、左を向いて尾を下げている。ショッカーのロゴのようなは”行司”と言ったところだろうか。

他にもドイツ空軍機が付けていた「シュトゥットガルト市」の市章を、撃墜した証として機体に付けていたとする説もあり、シュトゥットガルト市に本拠地を置くポルシェと、フェラーリの跳ね馬は同じ跳ね馬とする説もあるが、世界的に今回ご紹介した説の方が有力とされている。

この記事を書いた人

1999年 東京生まれ。幼少期を自動車大国アメリカで過ごし、車に興味を持つ。レンタカー屋やBMW正規ディーラーを経て都内高級中古車ディーラーに勤務。愛車はGR スープラ RZ。

CAR TRENDをフォローする
知識
スポンサーリンク
シェアする
CAR TRENDをフォローする
タイトルとURLをコピーしました