エンツォ・フェラーリはどのようにフェラーリを作り上げたのか

エンツォ・フェラーリ 知識
この記事は約4分で読めます。
※当ブログでは商品・サービスのリンク先にプロモーションを含みます。
※当ブログでは商品・サービスのリンク先にプロモーションを含みます。

フェラーリは、世界で最も有名な自動車メーカーの1つ。誰もがフェラーリを運転するわけではないが、ほとんどの車好きが1度はフェラーリを運転したいと思ってるだろう。そこで、フェラーリの創業者エンツォ・フェラーリはどのようにフェラーリを作り上げたのかを見てみよう。

工兵からレースカードライバーに

多くの車愛好家と同様に、エンツォ・フェラーリの車への愛情は幼いころから芽生えた。エンツォは9歳で初めてレースを観戦し、それ以来、彼は車に夢中になった。その10年後の1916年に病気で板金工だった父を、戦争で兄ディーノを亡くし、エンツォも第一次世界大戦の後半にはイタリア軍に勤務していた。 

除隊後、彼は工兵の経験を生かして、フィアットに就職しようとしたが断られてしまった。 彼は固執し、最終的に、イタリアの小さな自動車メーカーのテストドライバーとしての仕事に就く事が出来た。その後すぐに、彼はテストドライバーとしてアルファロメオに転職、その後、晴れてレースカードライバーに昇格した。

エンツォは悪いレースカードライバーではなかった。いくつかのレースで優勝や2位フィニッシュを飾ったこともある。しかし、その実力は絶対的なものではなく、自身の体調にも悩まされていた。また、彼はレースカードライバーだけでなく、1924年にアルファロメオの販売代理店を始めた。

スクーデリア・フェラーリの創設

写真、左端がエンツォ・フェラーリ

エンツォはすぐに、レースチームのために運転することよりも、レースチームを管理することへの愛情に気づいた。そのため、1929年に彼はアルファロメオのセミワークスチームである、スクーデリア フェラーリを設立。これが後に今日のフェラーリで知られるレーシングチームになった。エンツォ自身もスクーデリア・フェラーリからレースに参戦したが、1932年に長男が生まれたことをきっかけに、レーサーを引退した。引退後はアルファロメオのワークスチームのマネージャーも務めた。

その後、スクーデリア・フェラーリは1938年にアルファ・コルセ(アルファロメオのワークスチーム)へ吸収合併された。しかし、翌年の1939年にエンツォが経営陣と対立し、「フェラーリの名では4年間レース活動を行わない」という誓約を残してアルファロメオを退社した。

アルファロメオと対立後とWW2

ブックト (GFDL or GFDL), via Wikimedia Commons

1940年にエンツォは、先述したアルファロメオとの誓約項目を避けるために、退職金で「アウト・アヴィオ・コストゥルツィオーニ」という自動車製造会社を地元モデナに設立した。この会社で初めて自らの手で車を作り上げた。それが「815」である。この車は今でも語り継がれる伝説的なレース、「ミッレ・ミリア」に参戦し、好成績を上げた。

しかしその直後に第二次世界大戦が勃発。イタリアではモータースポーツが禁止されてしまい、エンツォは「815」の製造を中止した。イタリアの降伏後も、しばらくの間、車の製造やモータースポーツは禁止されていたが、エンツォは、戦後のモータースポーツ解禁の時に備え、マラネッロに自動車工場を移設した。

レーストラックからガレージまで

Aiace90, パブリック ドメイン, via Wikimedia Commons

第二次世界大戦後、エンツォは遂に自動車製造会社としての「フェラーリ」を設立。彼の最初の車に取り組み始めた。1947年に、V12エンジンを搭載した処女作「125 S」を発表。そして再び「スクーデリア・フェラーリ」の名でレース界に参入しはじめた。

この強力な車とそれに続く他の車により、フェラーリはフォーミュラ 1で数々の好成績を残した。この成功により、アメリカやヨーロッパを中心とした王族や有名人、大富豪などが愛する高級車ブランドとして成長し、フェラーリは高い名声を手に入れた。

今日のフェラーリ

その後フェラーリは経営危機に陥ったり、フォードとの買収騒動があったりと、決して穏やかにはいかなかったのだが、1969年にフィアットの傘下に入ることで経営の安定を図ることとなった。そこからエンツォは市販車の販売から手を引き、1988年に腎不全で亡くなるまでレースカーのデザインを続けていた。

今日のフェラーリのレーシングチームはかつてほど支配的ではないが、それでもフェラーリのブランド イメージは変わらない。世界の富裕層や著名人は今でもフェラーリを購入しており、それ以外の多くの人が今でもフェラーリを所有したいと思っている。 

エンツォ フェラーリの苦労と成功は非常に興味深いものであり、彼については多くの本が書かれている。ゼロから、エンツォは執拗に夢を追い求め、2022年8月現在、彼の会社は時価総額5兆円を超える。

この記事を書いた人

1999年 東京生まれ。幼少期を自動車大国アメリカで過ごし、車に興味を持つ。レンタカー屋やBMW正規ディーラーを経て都内高級中古車ディーラーに勤務。愛車はGR スープラ RZ。

CAR TRENDをフォローする
知識
スポンサーリンク
シェアする
CAR TRENDをフォローする
タイトルとURLをコピーしました