1967年、マツダはロータリーエンジンを搭載した市販車を発表し、自動車界を驚かせました。フェリックス・ヴァンケルが開発した技術を活用し、マツダは革新的なロータリーエンジンのレシピを完成させたのです。マツダのロータリーエンジンの功績は、50年という長い年月を経て、象徴的なマツダRXシリーズや数々のスーパーカーコンセプト、そしてバスの動力源となりました。
マツダは2012年、オイルを大量に消費するロータリーエンジンの生産コストの高さと、ロータリーエンジンの燃費の悪さ等を理由に、新車への搭載を終了しました。マツダの決断は自動車界に大きな打撃を与えました。
ロータリーエンジンはどこから来たのか?
ロータリーエンジンの歴史は 1800年代後半にまで遡り、第一次世界大戦から1920年代にかけて自転車や航空機に動力を供給しました。フランスのル・ローヌやベントレーのBR1などの有名な例は、ロータリー エンジンが内燃エンジンに革命を起こそうとする中で、100馬力を超える性能で開発されました。程度の差こそあれ、ロータリーエンジンはその複雑な性質から1920年代には時代遅れとなり、メーカー各社は単純化された直列ピストン形式を好むようになりました。
しかし、あるドイツの機械技術者はこのエンジンに夢を見ました。フェリックス・ヴァンケルは、1924 年にヴァンケルエンジンを考案し、1929年に最初の特許を取得しました。その後は計画を保留したまま第二次世界大戦を過ごし、1960年には、今はなきドイツの自動車メーカー NSU向けにツインローター KKM 250 を開発していました。軽量高回転エンジンは自動車業界内での地位を確立するに値すると頑固に主張していました。
マツダの改良型ロータリーエンジン
NSUは複数のロータリー動力車両を製造しましたが、ロータリー エンジンは、マツダの指導の下で完成しました。
1960年、統合・合併の危機が迫っていたマツダは、打開策としてNSUと一方的な条件ながら技術提携し、ロータリーエンジンの開発に取り組み始めました。チーフエンジニアの山本健一氏のリーダーシップの下、マツダは1961 年にフェリックス・ヴァンケル ロータリー エンジンのライセンスを取得し、すぐに作業に着手しました。マツダは、アペックスシールがエンジンケーシングの内面を傷つけるロータリーエンジンの「悪魔の爪」を修復し、ロータリーエンジンの耐久性の低下を助けた巨大なイノベーションを実現しました。
マツダのグラファイトアルミニウム合金シールの使用は、ロータリーエンジンの慢性的なオイル消費量を削減し、低速トルクを増加させました。これらは両方とも、NSU Ro 80 などのさまざまな NSU 車両に搭載された先駆的な内燃エンジンを悩ませていた問題です。そしてマツダは1967年にマツダはロータリー動力を搭載した最初の量産車を発売しました。
マツダ コスモ:初のロータリーエンジンを搭載した量産車
1967年、マツダ・コスモスポーツは、982cc ツインローターを搭載して登場しました。エンジンは110馬力を発生させ、ロータリー エンジンの可能性を示しました。
ロータリーエンジンの利点をさらに証明するため、マツダは1968年にニュルブルクリンクで開催された過酷な84時間耐久レースにコスモを出場させましたた。2台のコスモスポーツのうち1台が82時間目にリタイアしたものの、マツダはロータリーエンジンの頼もしさを見せつけ、最終的に4位入賞を果たしました。
コスモの名は1967年から1996年まで4世代にわたって続き、4代目である「ユーノスコスモ」もは、マツダがこれまで市販したロータリーの中で最も強力な280馬力を発生する、ツインターボ20B-REW型3ロータが搭載されました。
マツダのロータリーエンジンの復活
マツダは、厳しい排出ガス規制や燃費性能の課題から、2012年にロータリーエンジンを搭載した最後の量産車であるマツダ・RX-8の生産を終了しました。
しかし今年1月、マツダは10年以上の沈黙を破り、ロータリーエンジンを発電機として使用するプラグインハイブリッドモデルである「MX-30 e-SKYACTIV R-EV」をブリュッセルモーターショーで初公開しました。
マツダ MX-30 R-EV は、17.8 kWh のリチウムイオン バッテリーを搭載した 0.8 リッター シングルローター エンジンを搭載したハイブリッド パワートレインを搭載します。75馬力という出力は理想にはほど遠いものの、ロータリーエンジンのコンパクトな性質により、マツダの将来を導く理想的な候補となります。
画像出典:マツダ、Mazda Official